岩谷堂くらしなへの想い・・・伝統工芸士 八重樫公人

伝統的工芸品「岩谷堂箪笥」の重みを知ってか知らずか、この世界に飛び込んでもうすぐ半世紀。「あまり後ろを振り返ることはなかった」と語る、伝統工芸士、八重樫公人さんに、岩谷堂くらしなへの想いを語っていただきました。

人生の半分以上は箪笥を作る日々

身内にこういう環境があったこともあり、何のためらいもなくこの世界に飛び込みました。気がつけば人生の半分以上は箪笥を作っていたことになるなあと、今さらながら思ったりもしています。
職人になりたての頃は、ひと言で言えば「いい時代」だったのかな。東北の片田舎とはいえ、町には人が賑わい、どこの家庭でも岩谷堂箪笥は必需品とされ、もちろん嫁入り道具としても最高の品。とにかく生産が追いつかず、明けても暮れても箪笥づくり。商売とすればとてもいい時代でした。ただ、来る日も来る日もというのは、正直ちょっと苦痛にもなりました。職人として、決して口にしてはいけないことなのですが(笑)
まあ、あまり難しいこと考えずに過ごしていましたね、昭和の時代は。

平成になると、世の中が一気に不況になって、当然ながら注文が減ってくるわけです。売上も下降線になるんだけど、作る側の素直な感覚としては、やっと少し息をつくことができたという安堵感が先にきました。これからはじっくりと取り組めると。
ただ、それはイコール収入にも繋がってくるわけで。人間って実に不思議な生き物で、例えば給料が1万円増えてもそんなに驚かないんだけれど、1万円減ると焦ります。生活レベルって、そうそう落とせるものではありませんよね。これはまずいぞと感じるまでにそんなに時間はかかりませんでした。
世の不況というのは個人の1万円レベルの話ではなく、いつの間にか「売れるはずの物」が「なかなか売れない物」になる。すると考えるのは「安くしてみたらどうだろう」みたいな方向になるんです。しかし、金額的には高級品である箪笥は、少し安くしたから売れるというものではなかったんですね。生活必需品ではなく、贅沢品だったんですね。時代に飲み込まれた感があって、正直かなり焦りました。

このままでは好転しない

もちろん世の中全体が不況だったわけだから、自分たちだけが苦労しているはずはなく、不思議と不況なりに世の中が安定してくるんですね。すると、まあ、こんなものかとも考えてみたりもするんだけれど、心のどこかに、自分たちは将来にこの伝統を残す大事な仕事があるんだということも決して忘れていないんですよ。すると、このままでは決して好転しない、という結論になるわけです。
底冷えのする工場の片隅にある薪ストーブの前で、来る日も来る日も考えました。

モノを考えるということは、実は箪笥を作ることよりも難しく、目の前のノートはいつまでたっても真っ白のまま。そりゃそうですよね、毎日考えることといえば、材料の色合いとか、木槌の上手な振り方とか(笑)技術の老化には細心の注意を払っていながら、脳の老化は全く気にしていなかった・・・まあ、職人なんてそんなものなんですが。
そんな時にふと気づいたんです。どうやって箪笥を売るかということではなく、欲しいと思うものを作ることはできないかと。

自分の職人人生の集大成に

んな時に舞い込んだのが、平泉の世界遺産登録の話題でした。そういえば岩谷堂箪笥のルーツも平泉だったなあ・・・待てよ、ということは、観光客がたくさんいらっしゃる、自慢の岩谷堂箪笥を売り込むまたとないチャンスだ、と小躍りしたのです。
しかし、冷静に考えてみると、観光客は岩谷堂箪笥を見て素敵だと思う人が沢山いたとしても、そのまま箪笥を買って帰る人はほとんどいない。でもこの千載一遇のチャンスを無駄には出来ない。そこでもう一度深呼吸しての結論が「どうやって箪笥を売るかということではなく、欲しいと思うものを作る」ことでした。
コンセプトはシンプル。お手頃な価格で、幅広い年齢層に訴求できて、それでいて岩谷堂箪笥の風情を感じられるもの、例えて言うなら「和・モダン」・・・それが岩谷堂くらしなのはじまりです。

人生の半分以上を箪笥に捧げてきた、これから先何年職人を続けられるかわからない。でもおかげさまで、人に自慢できる技術は培ってきた自信がある、その技術で新しい作品に輝きを与えようと(笑)
自分の職人人生の集大成に、と大旗を振ってみましたが、いざ初めて見ると、実はやっぱり簡単なものではなく、いまは新入社員に逆戻りした感じですね。