岩谷堂箪笥
岩谷堂箪笥の起源は、今から210年前の天明時代にさかのぼります。衰退した木工品を岩谷堂城主岩城氏が米だけに頼る経済から脱皮するため、地方物産の興することになり、抱え職人の三品茂左衛門に車付の箪笥を作らせたのが始まりとなっています。一方、彫金金具は、文政年間、徳兵衛という鍛冶職人が研究考案 したものを現在伝承しています。昭和57年に、国の伝統的工芸品の指定を受け、桐・欅を主体とし、重厚な漆塗りで仕上げ、華麗、豪快な手彫りの金具を特徴とし、長い伝統に培われた民芸家具として高い評価を受けています。
岩谷堂箪笥の起源
岩谷堂箪笥の起源は定かではありませんが、平泉に藤原清衡が居住する頃に京都から伝えられたといわれています。初期のころは箪笥というより大きな箱、後の長持ちのようなものでした。その後、江戸中期の1770年代の天明の飢饉で東北地方の領民が餓死の危機に見舞われたのを契機に、米に依存した経済から脱却するための産業振興策として箪笥や長持ちなどの箱ものが作られるようになりました。現在のような箪笥になったのは江戸中期以降で、木工・塗装・金具を用いた堅牢な箪笥は金庫代わりに使うものとして考案されました。当初は材料としてスギやケヤキが使用されていたようで、近年になり岩手産のキリで箪笥が作られるようになると、金具にも桐の文様が多くあしらわれるようになりました。
岩谷堂箪笥の生産体制の変化
岩谷堂箪笥の制作は最盛期(昭和に入ってからで、それ以前はわからない)、には50から60の家内手工業の工場があり、木工・塗り(漆)、金具の分業で行われていました。分業することで生産効率が上がり、職人を確保するためにも木工職人・漆塗り職人・金具職人・建具職人等のような分業体制の方が技術の習得に好都合だったようです。
しかし、生産数の減少と共に分業では生産調整がしにくくなり、木工と塗りは一社の一貫生産でやるようになりました。一人で複数の職人兼ねることで人手が少なくて済み、少量生産に対応しやすいためです。ただ金具は特殊な技巧を要するので、現在も専門の職人によって作られています。金具職人は簡単なものでも5年、難しいもので10年の熟練を要します。現在金具を制作する専門の会社は一社のみとなり、専門の職人も3名のみとなっています。(藤里木工さんのみ、自社で金具まで生産しています)。
岩谷堂箪笥関係の職人さんは最盛期には150人ぐらいいましたが、現在は約65人程度です。若い人達も結構いて後継者問題はありません。職人希望者も全国から来ており、空いた職種から採用していますが、20代から30代の若い人の応募が多くなっています。できるだけ年配の職人の仕事量を減らし、若い職人さんに仕事を回して後継者を育てようとしています。
原材料
原料の木材は、キリ、ケヤキ、スギで全て国内産にてまかなっています。スギ・ケヤキは関東地方(栃木県など)、キリは岩手県内、北陸などから購入しています。以前は原木で購入していたが今は製材品で購入しています。最近はケヤキがなかなか手に入りにくくなってきています。これからはスギの無垢材を使うことが多くなるのではないかと思います。海外の原木を使う事はありません。伝統工芸品は地域の材料を使う事が原則となっています。
塗り
漆塗りには拭き漆塗りと木地呂塗りがあり、拭き漆方法は、塗っては拭き、塗っては磨くという工程を何回も繰り返します。箪笥の外側に漆を塗ることにより木目の美しさが映え、外観が美しくなることはもちろん、時を経るにつれて透明感が増し、独特の風合いがかもしだされるのも漆塗りならではの味といえます。
金具
岩谷堂箪笥の大きな特徴の1つは金具にあります。この金具には下絵を描いた鉄板あるいは銅板に金槌と鏨(たがね)を使って絵模様を打ち出してつくる手打金具のものと、手打金具をもとにつくった鋳型に鉄を流し込んでつくる南部鉄器金具(鋳物金具)のものと2種類あります。
工程
木地づくりは箪笥づくりの「生命」ともいわれ、いまだに一人の職人が一貫した手づくり作業で、あの頑強な岩谷堂箪笥を作り上げていきます。
そこへ丁寧に漆が塗り重ねられ、木目の美しさが強調されます。なめらかな木地の上に金具がはめこまれると、この時から一つの機能美が匠の手を離れ、使い手を待つのです。